松本孝之の絵について

松本孝之の絵画について専属コーディネーター手柴良治氏による解説を、ここに紹介していきたいと思います。

解説

第1回解説 (2014年4月記)

第五回展示、「春」によせて 

 「松本孝之絵画館」がオープンしてから、今回の展示が5回目の新たな作品展示となる。季節折りと称し、約2ヶ月に一回の展示変えである。専属コーディネーターとして、回顧展以来6度目であるが、作品集を参照しながら常に作品に触れていたにもかかわらず、絵画館で作品展示をする度に新たなる発見がある。そして今回、また新たなる発見と共に不思議な疑問にもぶつかった。本来コーディネーターは作家研究家ではないのだがキュレーターの仕事も手掛けているので、私なりに自由勝手に考察してみようと思う。

 開館時、第一回展示から第四回展示までは、作品の大きさが100号中心の個展用作品がメインであったが、今回の第五回展示は、一番大きな作品で30号が3点と、今までにはない展示室の雰囲気となった。10号前後の小作品が中心となるのだが、その小作品には実に優れた作品を見出す事が出来る。
思えば、第一回展示の時から第四回まで全てにおいて、私の心を捉えたのは100号の大作ではなく、むしろ小作品の方であった。

第一回展示では、「ヨット」0号(作品集P85)、
第二回展示においては、「閑日」4号(作品集P108)と「津軽の海」F4(作品集P94)、
第三回展示で、「コーヒーカップ」SM(作品集P116)と「黒いカップ」M10(作品集P51)、
第四回は、「雪後」F4(作品集P75)、
回顧展の際にも「黒いカップ」は最高傑作の一つではないかと常々思っていた。
同じく回顧展で展示した「雪山」F6(作品集P73は、現在個人の所有)も実にすばらしかった。

今回の第五回では、「天狗岳遠望」F4(作品集P77)「白樺」F10(作品集P79)「新緑の頃」F4(作品集P89)「月の桜島」F4(作品集P105)そして「故郷(ふるさと)」F8(作品集P107)である。

これらの作品は小さいながらも実にスケールの大きさを感じさせ、そして見飽きることがない。
広い美術館展示ではその存在感は小さいが、その小さな作品の前に立つと、小さな窓から覗き込む広い世界を見るように、作品の世界観が広がり叙情的でもある。絵にどっしりとした力があるのだ。大きな作品は作家の画力、デッサン力が見えてくる。小さな作品は作家の力量が見える。まさにそんな感じである。

今回の新たな発見というのは、この小作品のすばらしさの再認識である。では、不思議な疑問とは何?
さあ、なんでしょう?

写実的な作品、具象は日本人には受け入れられ安いものであるが、世界の現代アート的立場からは、いい表現では古典的、悪い表現では時代遅れなのである。
では、松本孝之の作品は、古典的で時代遅れの作品なのであろうか?
松本作品の何が引きつけるのであろうか?

松本孝之の画歴を改めて見てみよう。(実は今までしっかりと見た事はなかった。おいおい)

松本孝之は田村一男に師事しているが、田村一男は、近代日本の巨匠の一人である岡田三郎助に師事している。つまり松本孝之の絵画の系譜は岡田三郎助である。さらに岡田三郎助が師事したのは、近代日本洋画家の師と言われ、黒田清輝久米桂一郎も師事したラファエル・コランである。

田村一男は光風会から日本芸術院会員となるが、光風会の前身白馬会は、かの黒田清輝が中心に発足し、久米桂一郎・安藤仲太郎岩村透藤島武二青木繁、そして田村一男の師でもある岡田三郎助と、日本近代美術の錚々たるメンバーが顔を揃える。

白馬会から光風会への流れで、会が目指した絵画は多彩な具象である。
松本孝之も20代後半の若い時代に、具象とマチエールは学び取ったと思われる。

今回は春がテーマの展示となり、季節が違った為に見送られたが、「」SM(作品集P101)はまさに近代日本美術の技を学び取った集大成的作品だと思う。コップに生けられた一輪の菊は、その存在感の強さと共に菊の花への愛情も感じられる作品だ。奥さまが「私が育てた菊を描いてくれた」と言われた菊は、この作品ではないだろうか。(画歴にそう書いてあった、やっぱりか)

前回の展示で出した「千歳」F50(作品集P12)もそうだし、手元にはないが「」M100(作品集P13)や「谷川岳」F6(作品集P82)は、田村一男の影響を強く受けた作品となっている。そうかと思うと、制作年代は分からないが「富士」F3(作品集P70)は、どう見ても梅原龍三郎っぽい。
具象だけでは満足できないとでも言うような、光風会だけには留まらない制作意欲が見て取れるのだ。

その画風の変化、タッチの荒さ激しさへの変化は、10年後の森田茂に師事してから顕著に現れる。森田茂は東光会の初代理事長だ。森田茂の作品は、長崎の全日空ホテルグラバーヒルのロビーエントランスに2点飾ってあった記憶がある。たしか「能」をテーマにした作品だったはずだ。個人的に作品に良い印象はないのだが、忘れられないような鮮烈さがあるのだ。テレビの「開運!なんでも鑑定団」で一度出品されたのを見た事があるが、こんなもん、鑑定家が見るまでもなく偽物だと私が判ったほど塗り込められる絵肌の強烈さが印象的なのが森田茂なのである。

森田茂の画風はゴッホのようだともいわれる。私自身も画学生時代に激しいタッチを好んでいて、学校の教師から「ゴッホのなりそこない」などと、ある意味光栄なことを言われたことがあるが、激しいタッチであればゴッホというのは大きな間違いだ。私の事はさておき、作品集のP14からP37、P84からP89さらに東京時代の静物画の昭和50年代までの作品は、完全に森田茂“風”と言ってよい。

 あえて私個人の意見として書くが、これらの作品の中に魅力的なものは見出せない。もちろんゴッホ風でもない。マチエールの技術においては稚拙でさえある。作品のほとんどはヒビが入り、剥落さえある。色にしても、混ぜ過ぎと思えるような濁りがあったりする。マチエールというと、画材の材料、材質、素材と言う意味と、作品の絵肌を意味する二通りがあるが、この場合、これらの作品は油絵のマチエール、材料、素材の科学が無視されたと言うことに他ならないのだが、油絵の具のマチエールは無視してでも、絵肌のマチエール及び画風を追求した時代であったようだ。その激しい松本の気性がよく伺える作品群でもある。

あくまで個人的にではあるが、森田茂の作品に良い印象が無いのは、例えば代表作シリーズの「黒川能」でも、能の内に秘めた激しさと妖艶さが表現されてはいるが、タッチが激しく荒々しいばかりで、テクスチャーつまり材質感があまりないので具象感がなく、それかと言って現代アート的でもなく、油絵のよくある表現かなと思ってしまうのだ。(ファンの人にはゴメンナサイ)

松本孝之の作品で、現在絵画館に残るものの半数はこの激しく荒々しい絵肌、画風の作品である。松本はそれが自分の気性に合っていたのか、まるで油絵の具を塗り込める事に喜びでも感じたかのように意欲的な作品を残している。

そんな魅力の乏しい作品の時代の中から、突如として数点の心を捉える魅力的な野心作が出て来る。「荒野の家」P100(作品集P35)「冬山」F100(作品集P38)そして「津軽の雲」F100(作品集P40)である。作品の制作年代が判らないので、はっきりしたことは言えないにしても、森田茂“風”の時代にピエル・ボナール“風”だったり、梅原龍三郎“風”だったり、藤島武二“風”だったり、ここでも一つの事にだけこだわらないさらなる表現への探究心が見られる。松本にとっての印象派作品といえば、それは作品集P86〜87の「ヨット」「スタート前」などである。松本の作品は、基本的に絵肌は森田茂“風”のタッチだが、そこへ写実としてのテクスチャーが加わって来る。作家の感性だけでは出来ない描写力と、油絵のマチエールの基礎がなければ出来ないことだ。それが第四回展示の「雪後」F4(作品集P75)、今回の第五回展示「天狗岳遠望」F4(作品集P77)「白樺」F10(作品集P79)である。「雪後」は額装を真っ黒にする徹底振りで、額装の色が作品をさらに引き立てる、まさに額装までを作品の一つとしている。
雪後」や「白樺」は近くから見ると、なにを描いているのか全く判らないほどに油絵の具を塗り込んでいるが、距離を置いて離れてみると、そこには実に写実的な世界が写し出されている。

松本は自分に合った作品の絵肌、表現を追求しつつも写実という具象も、捨てられなかったのだ。

こうなると松本は森田茂の東光会では満足できないスランプと、苦悩に陥ったかもしれない。58歳という年齢でパリへ留学しているのは、そうした理由からだったかもしれない。

作品集の画歴を見ると、アイズビリーに師事と書いてあるが、アイズビリーって誰やねん?この頃のフランスで似ている名前は、ポール・アイズピリ、びりー、BI、ではなくPIだと思う。念のためパソコンでアイズビリーを検索、やっぱ出てこんかったのでポール・アイズピリで決定。ほぼ松本と同年代の作家だ。

そうなると、第三回展示の出品作品「卓上」F50(作品集P116)「静物」F50(作品集P57)に対して、作家の系譜が納得出来る。パースを無視した奥行き感のないテーブルの構図がそうだ。

ただし、松本はそれまでの絵肌のマチエールを変えた。師事したポール・アイズピリでもない。

そして、帰国後に森田茂の東光会を脱会している。

目指す松本孝之の絵画を見つけたのだろうか?「卓上」F50(作品集P116)「静物」F50(作品集P57)は、古典的描写と現代アートの構図が融合し、なによりもしっとりと落ち着いたマチエールによる色の発色がすばらしい。

今回展示の「曇り日」P30(作品集P108)は、かつて東光会へ出展した「津軽の雲」F100(作品集P40)の完成形としか思えない。当時、一連の「津軽」作品として完成させていたにもかかわらず、その時点において何かを見出したのか、それとも何か物足りなさをかんじたのか?荒々しいタッチが消え、しっとりと落ち着いたマチエールの、曇りの重い雲から漏れる光の描写はロマン派を彷彿とさせ、1/3の大きさでありながら、その迫力は「津軽の雲」を凌駕さえする。「津軽の雲」F100とはもう別人の作品だ。

故郷(ふるさと)」F8(作品集P107)は、山の形も色も簡略した表現でありながら、どっしりと存在感があり、奥行きと広さを感じさせる実に優し癒される作品になっている。

晩年は小さな作品が多いが、クオリティーは高くなって行く。

新緑の頃」F4(作品集P89)は、ゴッホを思わせるような枝振りの樹木。写実の中に新たな表現を模索しているかのようだ。

油絵の具を塗り込める手法のマチエールで描かれた「月の桜島」F4(作品集P105)は、桜島と麓にある町とその間にある海に照り返す月の光の、それぞれの優れたテクスチャーによる写実性、そして何より月夜の空が緑色というのは、師でもある田村一男の作品の一つである「緑の噴煙」をリスペクトしたかのように描き上げている。塗り込める作品はこういうふうに描くのだ!と言わんばかりだ。

現在広田公民館に展示してある「山上の月」P100(作品集P58)や、今後の展示予定である「静夜名月」F100(作品集P56)など、細長くなるPサイズのキャンバスを縦にすることや、描かれたマチエールは日本画的で、まさに田村一男の画風であり、松本は晩年になって田村一男の画風とマチエールを再び作品に取り入れている。

そして最後の作品となった「白い小屋」P30(作品集P112)

同時期の風景だけとって見てもこれだけ画風が違うのである。一人の作家がこうも画風を変えられるなんて、どう見ても自分の表現に辿り着いたとは思えない。

パリ留学以降、松本の作品は多彩を極める。松本は60を過ぎてなお自分の画風が定まっていないのである。心に感じた良いものは何でも吸収しようとして止まない、衰えることさえない探究心なのか?

今まで私は「卓上」F50(作品集P116)「静物」F50(作品集P57)を始めとする作品が松本作品であると思って来たが、果たして松本は、松本孝之の絵に辿り着いていたのだろうか?今まで見た作品の中で、どれが松本作品なのだろうか?
もし、もしも現在でも松本が制作しているとしたら、どんな作品を描くのだろうかと、今でもこの疑問は残るのである。