玄関を入ると右側に師の書いた文章がある。
先生は仏教家で、私が絵を教えてもらっている時にも、約半分の時間はお茶を飲みながら、のお話しでした。その中心は心の話が多かった様に記憶しています。正に、この文章の様なお話のあれこれ。
この文章を心に置いて絵を見ると、綺麗な風景画が彼の心象絵画として、私には見えて来る。

「曇り日」は、津軽平野を描いた物です。
山並みを1つの真っ黒な固まりとして水平に置き、その上に中心に生の白を配置それを左右上下にグラデーションを加えながら雲を表現しています。
手前には畑か草原かグリーンの世界を点描のように配置。
クロの固まりの中心部に人間の作った家が集落または点点と巧く余り出しゃばること無く配置された構図。
私はこの絵を見て、
集落を作る人々の力を合わせて群れて生活をしている姿が、この高い空、風の走る草原という大自然との風景の中に、とても小さな物である。また、自分達人間はこんなに大きな大自然の中に暮らしているんだ。と言った世界を感じました。
自然と人間の関係をこの絵は歌っている。そう思える絵です。
私の好きな絵の1つです。
「白い小屋」奥さまの話では、これが最後の絵だったそうです。
この絵は欧州の風景で、白い家が1つ、力強く描かれています。その周りは木々達が緑色で囲んでいます。左に描かれた一本の木の幹も青い色。何だかとても寂しい絵に私は感じられるのです。
と言うのは、この家に、人の気配が感じられないのです。そんなこの一軒の白い家の姿に、主人が居なくなって取り残されてしまった物達への師の思いが想像されるのは私だけでしょうか?
そう思うと、わざと左の木の幹を、家に使っている色から離れた不自然な青にした気持ちが理解できるのです。
更に気になるのが、この木の陰が無いのです・・・。さて、どのような意味があるのでしょうか?
